たまに書く日記

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浅ましさとの戦い

なんか壮大なタイトルつけちゃった。でも本当にそうなんだもん。私は今、浅ましさと戦ってる。

きっかけは、自分がバーテンダーの修行をひとまず終わらせて、フリーターになったこと。長くフォローしてくれている方はご存知かもしれないけれど、私は19の時から都内のいくつかのバーで修行をしていた。自分のバーを開く、という目標を実現するために。

でも、いろいろ思うところがあり、次の道に進むことを決断した。開業する、という目標は全く変わっていないし、むしろそれを実現させるために必要なものが見えてきたからこその決断だった(あと酷いハラスメントがあったのも決断の理由の一つとしてある。これに関してはいつか書くかもしれないし、書かないかもしれない。とりあえず今話したいこととは関係ないので傍に置いておく)んだけど。

その「必要なものが見えてきたから、それが得られる仕事に転職しよう」と、決めた先が、某大手中古レコード店(多分フォロワーの皆さんの中にも行ったことある方たくさんいると思う)でのアルバイトだった。(なぜ中古レコード店でのアルバイトなのか、も、多分いつか書くと思う。そしたらまた読んでください)

アルバイト。フリーター。バーのマスターの弟子を辞め、フリーターになった。

それは、なんとなく予想はしていたけれど、私にとってかなり大きなことだった。自分で決めたこととは言え、人に誇れる、胸を張れる肩書きがなくなってしまう。人に言えなくなってしまう。恥ずかしい、恥ずかしい。……………

あれ?なにが?なんで?

そもそも、どうして恥ずかしいと思うのか?それって、自分が今まで非正規雇用の人に向けていた気持ちが、そのまま自分に返ってきてるだけなんじゃないのか?金銭的な豊かさとか、学歴、仕事の内容で人を判断して見下してるからなんじゃないか?

そこで、冒頭のフレーズが出てくるというわけです。

これは「浅ましさとの戦いだ」と。

自分の中にある浅ましい気持ちと、向き合う時が来たんだと思う。表面的なもので人に優劣をつけたり価値をはかったりする、下品でみっともない気持ち。自分の価値観が確立されていないから、肩書きや分かりやすいステータスにしがみつかずにいられない。

そもそも。私がバーを開業したいと思った大きな理由の一つは「かっこいい大人になるため」だった。目の前の人を表面の肩書きで判断しない人。その人の本質的な豊かさを、きちんと理解できる懐の深さとまなざしを持った人。どんな人も、それまでその人が積み重ねてきた歴史の上に立っていて、嬉しいことも悲しいこともその人なりに乗り越えてきて、その日々で培ってきた人生観や哲学を持っている。その素晴らしさ、尊さ、豊かさに気が付けて、きちんと敬意を払えること。畏怖できること。
バーカウンターは人間交差点、たくさんの人に出会え、その人の持つエッセンスを味わえる格好の場だと思った。だから、バーを持ちたいと思ったんだった。

今の私は、視野が狭くて、短絡的で、傲慢で、浅はかです。でも、きちんと自分の中にある見下しの気持ちを認識できていて、それを恥ずかしいものと思えていて良かったです。自覚がないよりも、自覚があって恥ずかしいと思ってる方がずっとまし。

でも、こういう悩みを持つ自分のことをとても人間らしいと思うし、こうやって悩む時間が自分をまた少し「かっこいい大人」に近づけてくれていると思う。こういう思いに至る自分のセンスは、結構気に入っている。

なんか結びの文が思いつかない。寝よ

おやすみ〜ノシ